“釣り”と“山の暮らし”から繋がる人の輪 No.002 篠原清彦さん
- 2019.11.14
- written by 山本 卓

季節が変わるたびにその風景も色鮮やかに変わる。深呼吸したくなるほど空気が澄んでいる北山(ほくざん)ダム。愛称は北山湖(きたやまこ)だ。その湖畔に貸しボート店『ボートハウス シノハラ』がある。夏はブラックバス、冬はワカサギ。九州で淡水魚の釣りが楽しめるダムは数少ない。釣り好きの、とっておきの場所だ。
経営しているのは篠原清彦さん(68)。生まれも育ちも三瀬かと思いきや、実は篠原さんはお婿さんとして今から約40年前にこの村にやってきた。先代(奥さまのお父さま)から店を引き継ぎ、篠原さんで2代目になるという。
今回はそんな篠原さんの、三瀬での40年にわたる山暮らしのこと、どんな思いで人と繋がってきたのか、仕事への思い、移住する方へのメッセージなどをたっぷり聞いてきました。
旅館から貸しボート店へ。そして狙い通りの“ワカサギ”ブームへ!

いつからボートハウスを始めたのですか?
もともとはお袋(奥さまのお母さま)が三瀬村の生まれで、北山湖の底の辺りに家があったんだよ。
ダムができるときに立ち退きで今の場所に引っ越してきた。
お袋は山から、平野で農業を営む親父(奥さまのお父さま)のところへ嫁いでいた。
でも、うちの奥さんが小学校5年生くらいの時だから昭和37年くらいかな?
親父が身体を痛めて農業ができなくなった。
それで、今の家で旅館を営むことに決めたらしい。当時はゴルフパックや釣りパックとか、旅館にただ泊まるだけじゃなくて何かほかのアクティビティとセットのことが多かった。
だから、旅館とセットで貸しボートもやっていたのが始まり。
婿入りした当初は、旅館もされていたんですね。旅館で働いた経験はありましたか?
当然なかったよ。
初めて就職した時の仕事は化粧品のルートセールスの営業。
山口や福岡、いろんなところを営業してまわっていた。
婿に入る時には厨房に立てるように調理師免許も取ったよ。
包丁なんてほとんど握ったこともなかったのにね(笑)。
旅館を営んでいた時はどんな生活だったんですか?
旅館だから、朝は当然宿泊客の朝食をつくる。40人分とかが普通。それから釣り客のためにボートを出す。
そして、昼になるとボートに乗って、湖にたくさん浮かぶ釣り客たちのボートまでお弁当を配りに行く。
帰ってきたと思ったら、今度は夕食の準備。合間にボートの手入れもする。
この生活を10年以上毎日続けていたね。もう毎日くたくただった。
婿に来た当初は、観光客数がまだピークを少し過ぎたくらいでとにかく忙しかった。
今では考えられないと思うけど、旅館ができた当時はダム自体が珍しくて観光地として十分に魅力的だった。
ダムを見るためにたくさんの観光客が訪れていたんだよ。
俺が来た頃は、ヘラブナがブームだった。その次にブームになったのがブラックバス。
一時は空前のブラックバスブームで、ブラックバスのための貸しボートだけで十分に食べて行ける時代があったくらい。
その時代ごとにいろんなブームが来るんだよ。
ブラックバスのブームに合わせて旅館から貸しボート店に転向したんですか?
そもそも宿泊のお客さんが徐々に減ってきていた。
ダム目的での観光客が下火になってきていたからね。
旅館業を営むのは人手も手間もかかる。
地元の宴会を受けたりしてなんとか持たせてきたけれど限界が見えていた。
それで、貸しボート1本に踏み切った。
親父たちが引退して旅館を完全に引き継いでから、数年くらい経った頃かな? 親父も旅館業が下火なのはわかっていたから納得してくれた。
そのあと、平成の最初の頃に空前のブラックバスブームが来た。
ダムができた当初(1956年ごろ)からワカサギの卵の放流をはじめたよ。
当時ブラックバスで儲かっていたのになぜワカサギを?
当時、周りにも不思議な顔をされた。
「ブラックバスの餌用にワカサギを入れているんですか?」って聞かれることもあった(笑)。
まあ、ブラックバスが太ってくれるなら餌用としてもいいなとは思ったけど、本当は違う。
旅館で稼げることもあれば、ヘラブナやブラックバスで稼げるようになることもある。
常に何か次の物を仕掛けておく必要があると思っていたから。
いつかはワカサギの時代も来るんじゃないかと思って、ダムに毎年、ワカサギの卵を入れていたんだ。
何かを仕掛けていかなきゃブームが終わったときにどうしようもできないでしょ?
素朴な疑問ですが、ワカサギはブラックバスに食べつくされてしまうのでは?
食べきれないぐらい増やせばいい!
北山湖中のブラックバスが食べても食べても、食べきれないくらいにワカサギを入れれば俺の勝ちだと思っている(笑)。
そして、今は狙い通り、ワカサギが頑張ってくれている。
夏はブラックバス。冬はワカサギ釣りをやっている。
しかも、ワカサギは釣り竿が軽いから初心者でも扱いやすいし、何と言っても食べられる。
ブラックバスとは違って、ファミリー層や釣り未経験の人でも手軽に楽しむことができる。
上手な人や運の良い人は1日で200匹とか300匹もワカサギを釣っていくよ!
釣りは“魚を釣ることを楽しむ”のではなく、“釣りをしている風景を楽しむ”
篠原さん自身も釣りがお好きなんですか?
うん。俺はフライ・フィッシングが好きだね!
篠原さんが笑顔でお手製のフライを見せてくれた。


次から次に出てくるフライたち……その数50種類以上。
記者も楽しくなってしまい、思わずこれはどうやって作るんですか? なんて……。
あ! お話の続きよろしいですか? (笑)
釣りは昔からお好きだったんですか?
好きだったというか身近なものだったかな?
父親に連れられて、小さい頃はハゼ釣りに行っていた。
と言っても釣るのは俺じゃなくて父親で、腰まで浸かりながら釣りを楽しむ父親の姿を横目に俺は干潟(ひがた)で遊んでいた。
昔から“釣り”は日常の風景の1シーンで、身近だった。
でも高校大学の頃はしてなかったな。魚を追いかけるよりも、女の子を追いかけるのに夢中だったよ(笑)
学生時代はモテたんじゃないですか?
モテたね! 次は私の番って並んでいたぐらい!(笑)

おお! 言い切りましたね! モテる秘訣はありますか?
努力! あとは誠心誠意相手に尽くすこと。
仕事でも一緒のことだと思っているよ。誠心誠意相手の喜ぶことを考えるのが1番大切。
例えば女の子と映画を一緒に見に行ったときには、ただ映画を見に行くだけじゃなくて、その女の子に何をしてあげたらもっと喜ぶかを、ずっと考えていた。
映画のワンシーンに出ていた本をサプライズでさりげなくプレゼントしたり。
今日という日を、もっと良い思い出として思い出してもらえるように考えていた。
お客さんに対しても、“手ぶらで帰すことは絶対にしない”。
“手ぶらで帰さない”とは?
ワカサギを釣りに来る方の大半が初心者。
道具もない状態で来てもらうから。イチから教えて、その人たちがいかに釣りを楽しんでくれるかを、いつも考えている。
もし釣れてない人がいたら、釣れている人の近くに連れて行って「この子たちを横で釣らせてやってよ」ってお願いする。
意外かもしれないけど釣れている人って、ほかの人にも教えてあげたいって思うものなんだよね。
だから、こうやって声をかけると、釣れていない人は釣れて嬉しいし、釣れていた人も「俺が教えてやったんだ!」って嬉しくなる。
そうやって嬉しさを共有しながらコミュニケーションを取っていくと、ますます釣りを楽しんでもらえる。
釣りの本当の楽しさっていうのは、魚を釣る行為そのものというより、魚を釣っている自然の中にある風景や、周りの人とのコミュニケーションなんじゃないかと思っている。
魚が釣れなかったら悔しいし、イライラするでしょ。
そういうのじゃなくて、釣りという体験そのものを楽しんでもらうようにしている。
そして、できるだけ良い思い出を作ってあげる。それが俺の仕事。
来る時は手ぶらでも帰りにはほかでは味わえないような思い出をぶら下げて帰ってもらう。
“挨拶をしてくれる”それが生きていく“栄養剤”になる

話の途中で「これ、小学5年生の頃から可愛がっている近所の子と一緒に沖縄に行った時の写真」と、嬉しそうに見せてくれた篠原さん。
親戚でもない、ただの赤の他人と言ってしまえばそれまでの関係。
でも、山の暮らしでは現代の人が忘れているような、人と共に生きる関わり方が残っていることに気づかせてくれました。

昔からかわいがっている近所の子と、沖縄に行って釣りを楽しむなんて本当にうらやましい関係ですね!?
「おい! 行くぞ!」って強制的にだけどね(笑)。
この子はバス釣りがメインなんだ。
でも、俺はこの子に「ほかにも魚はいるんだよ。いろんな釣りがあるんだよ」って教えてあげたかった。
釣りっていっても海釣り、川釣りなどたくさんの種類がありますしね。
釣りの面白いところは、魚の種類によって釣り方が全く違うところなんだ。魚の種類だけ釣り方がある。
いろんな釣りがあるのに、バス釣りだけに固執してしまうのはもったいないって思ったんだ。
人生も同じだね。いろいろあって良い。1つしかないのはもったいないじゃない?
なんかいいですね。地域との関わり方のお手本のようです。近所の子もそうですが、常連のお客さんたちとの関わり方も深そうですね。
そうだね。長い付き合いのお客さんもたくさんいるよ。
子どもの頃から知っていて、今は釣り具屋さんで働いていて、仕事でも繋がりがあったり、一緒に釣りに行くような近所の子のような常連さんもいる(笑)。
そんなお客さんばっかりってわけじゃないけれど、お客さんの笑顔が俺の支え。
毎年開催している、うちが主催の景品付きバスフィッシングの大会『シノハラカップ』もお客さんが少ない時なんかは赤字なんだけど、いつも元気をくれるお客さんたちに還元したくてずっと続けている。
釣れても釣れなくても「篠原さんがやるなら」って言ってこの指とまれで集まってくれるようなお客さんたちの存在が元気の源(みなもと)。
それから、こうやって仕事を続けていこうって思うのは自分自身のためでもある。

自分のためですか?
ボートハウスにお客さんが来て挨拶してくれる。
俺はみんなと挨拶したくて、みんなに会いたくて、頑張って続けているんだと思う。
“挨拶をする” それだけで元気をもらえるんだよ。
山で暮らしている俺たち世代はみんな「挨拶って大切だ」そう思ってるんじゃないかな。
例えば、朝 登校中の子どもたちが「おはようございます!」って挨拶してくれるだけで、「よし今日も頑張ろう!」って思える。
生きていれば、仕事への使命感に駆られること、辛いと思うことはたくさんある。
だけど誰かが“挨拶してくれる”ことが “栄養剤”になっていると思う。だから頑張れる。
お客さんからも近所の子どもたちからも、気軽に挨拶してもらえる自分でありたいね!
篠原流の生き方「人生は遊び半分。70点とれたらそれでいい」

篠原さんが大切にしている、自分なりの生き方とはどういうものですか?
大切にしているのは“遊び半分”でいいってこと。
疲れたらギターを弾いて、フライを作って、沖縄に行って。趣味に時間を使う。それでリフレッシュする。
今の社会って「120%の力を出して仕事をしなさい。いつでも100%出せるように」っていう考えが当たり前になっているでしょ。
「俺には無理!」
100点満点目指す人は一流で、そもそも俺は一流目指してないから70点ぐらい取れれば十分って昔から思っていた。
子どもの頃から「もうすこし頑張りましょう」って通知表によく書かれていた。
もう少し頑張れるのに……というところで『手を抜くタイプ』(笑)。
そういう意味ではすごく人の期待を裏切ってきていると思う。
でも、自分にできることは“誠心誠意”相手のために努力をすることだけ。
あれもこれもって完ぺきにこなすのは大変でしょ。
ギターでも弾きながら楽しく生きよう。気負わず70点ぐらい取れたら俺はそれでいいっていうのが俺の生き方。(笑)
佐賀のお山へ移住してきた人、移住したい人への想い
三瀬に住みたい、田舎暮らしをしたいって考えている方々へメッセージをお願いします。
地域に入るっていうのは、不安も多いと思う。
いろんなしがらみが出てきたりして、地域との関わり方で悩む。
俺はこの場所に来てくれたということだけでも嬉しい。だから自由に暮らして欲しいと思っている。
わからないことがあったら、聞いてくれたらいい。
来てくれた人たちがここで楽しく暮らしてくれるのを、俺は応援するだけ。
あとは、「あ! それが仕事になったのか」と思えるような新しいことをしてくれたら俺も楽しいな(笑)。
その人のスキルを最大限に生かせる環境を整える手伝いができたら、それが来てくれた方へのお礼になると思っていつもみんなと付き合っているよ。
移住をして地域に入る。わからないことばかりで不安を感じる人が多いと思います。
別に地域に“溶け込む” 必要はないんだよ! 地域にがっつり溶け込むなんて移住者がしんどくなるだけ。いいんだよ!
酒を飲んで、バカみたいに楽しく騒げたらそれでいい。
なるほど!心強いお言葉をありがとうございます。今日は勉強になりました。
移住に関するお問い合わせ・相談はこちらまで。
ー 編集後記 ー
取材の中で、僕もワカサギ釣りを体験させていただきました。
ボートの上で、釣り竿の先を見つめながら、水面の波紋を眺め、風を感じる。なんとも言えない気持ちよさがありました。
なかなか釣れない私を見かねて「ちょっと場所移動するか?」とボートを動かしてくださる篠原さん。「はいどーぞ!」と言われた場所で釣り竿の糸を垂らすと、さっきまでが嘘のように入れ食い状態。釣れる釣れる! 銀色に輝くワカサギが!
湖や魚のことを知り尽くした篠原さんだからこそできる巧の技を感じました。
取材の際、ワカサギ釣りに来ているご家族がいて、娘さんが「お父さんより釣れた」と喜んでいました。篠原さんはそれを見て、「こうして、家族のコミュニケーションの一つとしてワカサギ釣りがあって、あの子がお父さんへ自慢げに話している。それを見ているだけで、俺はこの仕事をしていてよかった、一番の幸せだ、と感じるんだ」と嬉しそうに話してくれました。
11月、ワカサギ釣りが始まり、週末などは多くの人で賑わうボートハウス シノハラ。青空にたくさんの笑い声が響いていました。
「人生は70点ぐらいでいい。気張らず生きていたほうが楽しいだろう」という篠原さんの言葉がすっきりと腑に落ちました。釣りも人も同じ、欲が出たら何ごとも成功しない。自然体で、残りの30点は「まぁそんなもんだろ」って楽しむ心の余裕が必要なのかもしれない。


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<お世話になった取材先>
篠原 清彦さん
「ボートハウス シノハラ」代表
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<お世話になった取材先>
篠原 清彦さん「ボートハウス シノハラ」代表
佐賀市の川副で生まれる。結婚を機に佐賀のお山に移り住み、奥さんの実家の家業だった旅館を継業した。現在はボートハウスを経営しながらワカサギのふ化活動に力を入れている。
篠原さんは大の釣り好き。フライ・フィッシングが好きだが海釣りの好き。愛猫のアオちゃんとお孫さんが可愛くて仕方がない。
ボートハウス シノハラ
住所:〒842-0303 佐賀市三瀬村杠789-3 GoogleMap
連絡先:0952-56-2552
営業時間:AM7:00~PM5:00
定休日:年中無休
ホームページ:https://shinohara-boat.com/




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<取材記者>
山本 卓
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
山本 卓「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身。10代のころから役者を志す。夢を叶えてCMや大河ドラマをはじめ映画や舞台で活動。劇団「ブラックロック」の主宰を経て、海外公演を自主企画で成功させる。その後、キー局情報番組のディレクターとして番組制作に携わる。夢は日本を動かした100人になること! 地域の人に密着した動画作成や、人の顔が見えるマップを作りたくて移住を決意

