作品は錫(すず)を型に流し固める鋳造法(ちゅうぞうほう)。人生は型をつくらない藤瀬法。 No.003 藤瀬大喜さん
- 2019.12.20
- written by 山本 卓

「造形作家になった経緯ですか? ……なんとなく“なし崩し”で造形作家になりました」
驚きの発言から始まった今回のインタビュー。
造形作家 藤瀬大喜さん(38)。造形作家とは聞きなれない言葉だ。
三瀬にある藤瀬さんのアトリエには動物や植物などをモチーフとした金属素材の錫(すず)を使った箸置きや、江戸時代後期の浮世絵師の葛飾北斎(かつしかほくさい)が描いた『北斎漫画の河童』などを立体的にした精工なフィギュアが飾られている。その作品のすべてが手しごとだ。


“造形作家”と“物事を分析・解析をする経営者”。
今回は、この2つの顔を持つ藤瀬大喜さんを造り上げているものは一体何なのか? を取材を通して探っていきたいと思います!
“なし崩し”から始まった造形作家という職業

造形作家になるまでの経緯を教えてください
大学時代に、とあるプロジェクトに参加したことがきっかけでした。
福岡に冷泉荘(れいせんそう)という3年後に取り壊しが決まっていた当時築40年くらいの鉄筋コンクリートのアパートがあったんです。そこで、取り壊しまでの3年間にいろんなお店やイベントをやろうというプロジェクトがあった。
その中の1つで「カエル限定」の展示イベントがあって、作品を募集しているから出さないか? と声をかけてもらい参加することにしました。
ところが、声をかけてもらった当初は“参加者も数人いる”と聞いていたのが、
急に主催の方から「参加者が2人になっちゃった」って言われたんです。
そこからさらに減って「あ。ごめん。藤瀬さん一人になっちゃたから、君の個展ね」って言われたんです。
初めてがもう個展ですか!?
はい。気が付いたら個展になっていました。僕も自分で「え! 個展なの?」って思いました。
その前にもグループ展は参加していたんですが、初めての個展がそんな成り行きで出来てしまうとは僕も思っていなかったです。
そして、個展が終わった後に、周りから“藤瀬=作家の人”というイメージが定着しちゃった。そうやって、なかば“なし崩し”に、作家になったんです。

荒治療で治った人見知りと見えてきた作家への道
大学卒業後は、造形作家という仕事で食べていくと決意していたのですか?
大学の頃は「自由に作品を作れなくても、趣味で作ればいい」と思っていました。卒業後はどこかの鋳造(ちゅうぞう)会社に入って安定した生活ができたらいいかなって。
就職を考えている時に、知り合いのギャラリーを営んでいる方が「君もモノを作る人なんだから色々見た方がいい!」と言って、階段の手すりや看板などの建築物の部材品を作る作家さんを紹介してくれたんです。 しかも、本当に紹介してくれるだけで、その人の作業場に連れて行くだけ連れていって「じゃあ、あとはよろしく!」って先に帰っちゃったんですよ。僕、人見知りなのに。
そうなんですか!? 全然人見知りには見えないです。
完全なる荒治療だけど、実は、これがきっかけで段々人見知りが治ったんです。
人見知りで話せないでいるとその方が「君は大学では何してるの?」って話かけてくれて、大学で学んでいる鋳造(ちゅぞう)の話とかしていると、面白がってくれた。
そして、そこからまた「八女市に木工の知り合いがいるから紹介するよ」ってつないでくれて。
それから、紹介に紹介を重ねていろんな作家さんに会いに行った。
その時に、気が付いたんです。
「作家さんに自分から会いに行っていいし、もっとガンガン質問していいんだ」って。
最初は自分から作家さんに会いに行くなんて全然考えられなかったし、そもそも作家さんっていうだけで声もかけづらかった。
その考えが一機に変わったんです。
そうやっていろんな作家さんと話していく中で段々“作家になることを意識”し始めました。
就職という安定を捨てるということは、とても勇気がいる決断だったんじゃないですか?
勇気というか無謀だったんですよ。
あと、死にはしないだろうと思っていました。
自宅(ご両親は農家民泊を営んでいる)には米もあるし。
「ま、いいか」って。
どんな時に作家をしていて一番楽しいなと思いますか?
例えば、時間に追われているサラリーマンを見ながら、僕は昼間からビールを飲む。
「俺は自由だ!」って思う時が楽しいね。
人生ってさロールプレイングゲームのようにひとつひとつのクエストをクリアしているような感覚で思っていれば楽しいよ。
「クエストクリア! よし次のクエスト、クエスト」みたいな感じでね。
ゲーム感覚で人生楽しんだほうがいいでしょ。
飯が食えない造形作家ではなく“お金をしっかり稼げる造形作家”になる大切さ

造形作家は、どんなに努力をしても夢だけでは、なかなか食べていけない稀有(けう)な職業だと思います。どうやって生計を立てているんですか?
作家になりたての頃は“なんとなく続けていければいいや”って思っていましたね。
売れているという概念は、たぶん人それぞれあるんだと思うんだけど。
僕が思う“売れている作家”って基本的にどういうものを作れば買っていただけるのか市場を考えていると思う。
僕は作家として、ただ自分の作りたい作品を作りたいと思っていたら、就職していたと思います。
アートフェアに出展させていただいた時も「次はこうしよう。あんなことができるんじゃないか」って日々の反省や作品を売る市場の分析してノートに書いてまとめたりしています。
ちゃんと買ってくれるお客さんのことを想像して作品を作っているから成り立っているんじゃないかな?
俺の芸術作品良いだろ! これを買え! みたいな芸術の押し売りはしていないと思います。
アートフェアに出展する意外には、普段どのようなことをしているのですか?
アートフェア以外にも大型デパートでのイベントなどにも出店しています。
具体的に仕事としては、錫(すず)の置物や箸置きの制作と販売をしている。
今一番力を入れているのは、“マッチ箱の干支シリーズ”です。

マッチ箱シリーズは「財布の中に入る大きさで、持ち運べるサイズのものがいいな」と考えた作品です。
裸で売るより見た目にもかわいらしさのあるマッチ箱を採用した。
たくさんの人に手に取ってもらえるように考えている。
今は来年の干支『ネズミ』の作成をしています。
この“マッチ箱シリーズ”は造形作家として生計を立てるために考え、たどり着いた作品です。
有名な作家と、無名な作家の違いとは?
藤瀬さんが思う造形作家として“売れる”とはどういうことですか?
たぶん売れていない無名芸術家の作る作品って死んだあと大体99%はゴミになると思う。
ピカソの作品だったらいいけど、全く知らない作家の作品が自分の家にあったら僕も捨てるね。
一方で、売れることは必要だと思っているけど、岡本太郎さんや山下清さんみたいに全員に知られていなくてもいいって僕は思っている。
僕のことを知ってくれている人がいて、しっかりと生活ができるお金を稼ぐことができる造形作家でいたい。
“有名になる” “売れる”ってなんだろう……難しいね。
山で暮らすにはアートは必要でしょうか?
……。
そもそも日本の芸術家の認知度って海外と比べて低いんですよ。
この前、住んいでる地域の公民館の集まりに行った時なんて、芸術家の草間彌生さんのドット柄のパーカーを着て行ったら「え? それ何?」ってキョトンとされた。
世界的にも有名な日本を代表する芸術家である草間彌生(くさまやよい)さんですら、知られていないことがある。
必要かどうかはわからないけれど、人生を楽しく生きるための選択肢を増やしてあげることがアート(芸術)なんじゃないかな。
必要ないと言われたら必要はないけどね。(笑)
移住者と地元民とのギャップをしっかり見極めること

三瀬に住みたい、田舎暮らしをしたいと考えている方々へメッセージをお願いします。
移住してみて地域と自分との心意気のギャップを感じると思います。
三瀬に昔から住んでいる人は保守的な方が多いと思っています。
これから移住をしてくる人はフロンティア精神(開拓者)じゃないですか。
例えば移住した方が「三瀬を変えようぜ」と声を上げても、批判的な意見も出てきてしまうと思います。
それが僕の言う “心意気のギャップ”が生まれるってこと。
では、どうすればいいと思いますか?
行動することが大切かな。 自分が考えた良いことは黙ってやる。
あまり周りに提案はしないほうがいいですね。
周りの意見を聞きすぎてしまうと絶対に反対意見が出てしまい、良いことも前に進められないことがあると思います。
良いことだと思ったらとにかくやってみる。 それでも文句も出るかもしれません。
ただそうやって行動していれば「それいいね」と言ってくれる仲間に三瀬で出会いますから。
三瀬に住みたいと考えている芸術家の方も見てくれていると思います。その方々にメッセージお願いします。
住みづらいと思いますよ。
人里離れてコソコソと作品を作りたいと思う芸術家には向いてない土地かも。
コソコソできないから(笑)
だって人の距離が近いオープンな土地だから、住みたい人は住めばいい。
藤瀬さんの作品作りと三瀬という土地の関係性は、オープンな地域だからこそ生み出されていて、そして仲間との出会いが作品に温かみを与えているんですね。藤瀬さん、本日はありがとうございました。
移住に関するお問い合わせ・相談はこちらまで。
ー 編集後記 ー
藤瀬さんは造形作品を作る上で錫(すず)を型に流し込み形を作っていく。しかし、藤瀬さんの生き方には“型”は存在していない。
藤瀬さんはそんな型には収まらず、日々その形を変え新しい藤瀬大喜という新たな芸術を生み出しているのだ。
だから、掴みどころがないわけではなく“掴むことができない唯一無二の存在”なんだと思った。


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<お世話になった取材先>
藤瀬 大喜さん 造形作家
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<お世話になった取材先>
藤瀬 大喜さん 造形作家
生まれも育ちも生粋の三瀬っ子。大学で金属工芸鋳造(ちゅうぞう)の伝統的な技法『真似型鋳造(まねがたちゅうぞうほう)』を学ぶ。卒業後(2007年)アトリエAMPを吉野ヶ里に。その後2016年に拠点を三瀬に移してアトリエ『Jackalope Studio(ジャッカロープスタジオ)』を開設。造形作家として、個展や美術館などで多くの作品を発表している。
好きなことはゲームと格闘技。アトリエにもサンドバックを置いている。「権力者に勝っているのはモノを作れることと、この筋肉だ」と日々トレーニングに励んでいる。フィギュアと小説、造形と物語を紡ぐサイバーパンク相撲オペラ小説作品『建御雷神(タケミカヅチ)』も発表。マウンテンバイクで山道を走るスポーツのコース山王マウンテンパスを半年かけて整備するなど、造形作家の枠にとらわれずに活動している。JackalopeStudio(ジャッカロープスタジオ)
住所:佐賀市三瀬村三瀬2769‐10
営業時間:10:00~18:00
定休日:不定
駐車場:あり




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<取材記者>
山本 卓
「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
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<取材記者>
山本 卓「佐賀のお山の100のしごと」記者/地域の編集者(地域おこし協力隊)
大阪府高槻市出身。10代のころから役者を志す。夢を叶えてCMや大河ドラマをはじめ映画や舞台で活動。劇団「ブラックロック」の主宰を経て、海外公演を自主企画で成功させる。その後、キー局情報番組のディレクターとして番組制作に携わる。夢は日本を動かした100人になること! 地域の人に密着した動画作成や、人の顔が見えるマップを作りたくて移住を決意

